映画のなかで登場人物たちが何度も問いかける「本当のことを言ってほしい」は、夫婦とか、兄弟とか、社会とか、それぞれにそうであってほしい人として演じることを求められる世界のなかで、たしかなものを確認しようとする言葉だ。わたしたちは誰でもちょっと多重人格で、それぞれのコミュニティにぴったりの人として振る舞うことがある。でも、みんなと別れて家に帰れば素の自分になって、いわば陽の時間と影の時間でバランスが取れているから成り立っている。結婚はおろか同棲もしたことないからよくわからないんですけど、血の繋がってない誰かと一緒に暮らすことは、可能なんだろうかって思うこともある。それとも、影の時間をも一緒に過ごせるくらいの人と出会うことは、可能なんだろうか。ともあれ、この映画はそんな嘘だらけの最低な世界をどうやって脱出するか、脱出するにはどういう方法があるのか?という妄想の映画だ。そして脱出した先にも、同じように最低な世界が広がっていることがわかる映画でもある。じゃあ、世界とどうやって付き合うのか。そんな世界のなかで、果たして結婚は可能なのか、という映画でした。クリスマスの夜とかにアベックどもが間違って観てしまわないか心配です。 #映画
映画ぶろ
ゴーン・ガール
2014/12/13
天才スピヴェット。「アメリ」の監督の新作で3D。左目の視力が1.2で右目が0.1なので3Dがぼやけるけど、そんなの関係なく笑ったし泣けた。認められるために出発した旅だったけど、会ったことのない人と出会って、家族を見つめなおして、悲しみを引き受けるプロセスが描かれる。旅の途中で出会った人たちと別れたあと、再会しないところがいい。電車が止まったところで偶然目が合った、窓の外でブランコに乗る女の子とはもう二度と会えない。そんな旅はいいなあと思った。 #映画
ニンフォマニアック Vol.2
映画史上もっともカッコよく童貞が登場するコント映画だった vol.1 と比べてコント要素は抑えられてるけど、vol.2 ではよりさまざまな倒錯した性のありかたを紹介していて、まるで性欲のカタログみたいな映画だった。美しい映画だったし、最悪な映画だったし、ひとりでは観ていられない映画だったし、最悪な映画だったけど、最後にこの映画のテーマを突然おっさんがペラペラ話しはじめたときはなんだか感動しちゃった。テレクラキャノンボールの次に嫌いな美しい映画でした。 #映画
ニンフォマニアック Vol.1
愛することとセックスをすることが、前々からどうしても結びつかなかった。好きな人の体を触りたいという気持ちはわかるけど、体を触ることとセックスすることのあいだには、性欲という動物っぽい本能が自分にもあるってことを受け入れないと、できない気がする。だって、もし愛と性欲に関連があるのなら、愛についてこんなに話されているのと同じように、性欲についても話されるべきなのだ。でも… 性欲について話すのは、すごくむずかしい。
「ニンフォマニア」は日本語に訳すと色情症、つまり「女性の性欲が過剰に亢進した状態」で、この映画はその通りの女の人が過去を話す体で構成される。そこで語られる性欲についての語り口は大変にセンチメンタルで、とても真顔で聞いていられない。そんな僕たちを救ってくれるように、あらゆる性欲が川釣りの話やフィボナッチ数列で説明されていく。性欲を満たすためのセックスがあるベッドは、誰かが死んでいく病院のベッドでもあるということがわかってくる。この映画がほんとうに話したかったことは、性欲だけが話されないことでも、話されるべきことでもないって、ことなんじゃないかなぁ…。 #映画
晩春 ('49)
笠智衆はかわいい。笠智衆がにやにやしている顔は、演技をしているのか、そういう気のいいおじさんなのかわからない。さらに、原節子はこわい。原節子の笑顔が怖い。そんな原節子が父ちゃんに告白するシーンの声が、怖い…。いくら戦後の時代だって、あんな父と娘の関係が当時はリアルに感じられたのかな?
日本家屋に置かれたローアングルの1台の定点カメラが、障子の隙間からふたりの様子を捉えるカットによって、映画を観てる僕たちは自動的に見守っている人たちということになる。かと思えば、笠智衆が話すたび、原節子が話すたび、カメラは話す人を真正面から捉えて、僕たちが笠智衆になったり、原節子になったりもする。世界を見るまなざしの主体が次々と入れ替わっても、どれも同じまなざしでいることの違和感が、父と娘のファンタジーみたいな関係とよく合って、なんだかその世界観に納得してしまうのかもしれないと思った。
小津は膝の高さぐらいから世界を見つめているが、僕たちは世界を地面より高さ何センチぐらいから見ているんだろう。とにかく、情緒あるすてきな映画でした。
星5個。★★★★★ #映画