映画ぶろ

思い出のマーニー

映画がはじまってタイトルが出るまでのたった3つのシーンによって、杏奈がどんな女の子なのか描かれてしまって、すばらしい。室内に置かれた空気清浄機や、出発前に渡してくれるみかんといった細かなディテールが、自分の体験と重なってリアリティを補完する。もうこれだけで涙腺が緩むけど、療養先の家に着いた瞬間から、だんだんと違和感が生まれてくる。杏奈は、思ったことをすぐ口に出してしまう。そんなやつはいないのだ。スタジオジブリのきれいな背景画や食卓の風景に、感情移入できるくらいリアリティを感じながらも、杏奈が声を出してひとりごとを言うたびに違和感が大きくなる。ひとりごとだけじゃない。マーニーとの約束のシーン、「永久に」という言葉が引っかかる。永久は書き言葉だ。永久なんて、普通は声に出して言わない。共感できる要素が重なったリアリティのなかで、たくさんの違和感によってパラレルワールドのように分岐して、映画の世界がわたしたちの世界からゆっくりと離れていく。

この世には、目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。

と、自分たちの世界をわかっていた杏奈が、湿っ地屋敷というわからないものに触れることによって、もっと世界の奥行きを感じられるようになったように、映画を観ているわたしたちもまた、ファンタジーなのか、夢なのか、わたしたちの世界の延長なのか、わからない世界観によって、この映画にとってのリアリティを探る豊かな時間のなかで、杏奈の成長の物語を追っていくことができる。そうしていると、物語の終わりに近づいてきて、杏奈がだんだんひとりごとを言わなくなっていることに気がつく。無表情だった表情に変化がついて、泣くことができるようになっている。人と面と向かって話せるようになっているし、謝ることもできるようになっている。

なんて素敵な映画なんだろう。星10個。★★★★★★★★★★ #映画

10

劇場版 テレクラキャノンボール2013

この映画がもっと遠くに行けるとしたら、その可能性は旅の途中で出会うりんちゃんにあると思う。なぜいきなり北海道から東京へ行くことができるのか。なぜアダルトビデオに出演することが当然のように笑えるのか。なぜ出会ってすぐの知らない人とキスができるのか… でも、この映画はりんちゃんについて何も描くことができない。それどころか、旅の途中で出会うおじさんかおばさんかもわからないような人、幼少期に性的虐待された人、水商売に疲れて鬱になって辞めた人、あらゆるわからない人たちに出会っては、セックスという仕事として数十年つづけてきたよくわかるものに落とし込んでしまう。わたしたちにはメチャクチャなように思えるこの旅自体が、この人たちにとってはいままで何度もやってきたよくわかっていることなのだ。知らない人とセックスしても、うんこを食べても、なにをしても青春ごっことして終わらせてしまえることを、オッサンたちはよくわかっている。だから、よくわからないりんちゃんを映画に含めることができない。こんな映画、観なくていい。ノスタルジーに浸るオッサンどもに時間を割くほど、僕たちの青春は長くない。

星なし。 #映画

27

her 世界でひとつの彼女

なんてロマンチックで素敵な映画なんだ。目を覆いたくなるくらいの恥ずかしくて繊細な「痛さ」だけじゃなくて、ところどころにユーモアが散りばめられてたのが、とても良かった。アメリカ人にだってあんなにうじうじした人がいるっていうのも、なんか希望が持てた。

しかし、映画っていいなあ。休みの日に誰かと会ったり、映画を観るだけで充実した気持ちになる。深夜、眠る気がしなくていつまでもインターネットを見続けてしまうのは、今日が充実してなくて、なんとなくこのまま終われないからだ。誰だって自分の生に終わりがあることを知っている。そのなかで、できるだけ楽しみたいのはみんな同じだ。たまに気が狂いそうになったとしても、僕たちがいつまでも他者を求めつづけるのは、もう仕方がないことなんだろう。

星8つ。★★★★★★★★ #映画

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