6才のボクが、大人になるまで。
わたしたちの日常生活のドラマチック度を0だとして、映画のドラマチック度を100とするなら、そのあいだの一体どのあたりから映画ははじまるのだろう。いやいや、毎日をなんとなく生きていると感覚が麻痺しちゃって、なんかこのままでもあたりまえに生活できるように思えるけど、しかし生活の実体は奇跡の積み重ねだったりする。生活だってよく見ると意外とドラマチックだ。映画のなかのドラマ度がどんどん落ちていって0に近づくとき、いや、もっとマイナスになって生活のドラマ水準を下回ったとき、どうなっちゃうんだろう。生活は映画になれるのだろうか。役者が演技をすること、役者が演技とは関係なく歳を重ねていくこと、これらが同時に記録されているこの映画だったら、映画を撮ることは可能なのか、映画とは一体なんなのか、映画のメカニズムを解明してしまうようなすごい映画になった可能性があったのではないか。しかしこの映画のオチは、12年かけたって映画は撮れなかったという、まったく希望のないさみしさだけだった。そう、映画なんか役に立たないもの観てないで、わたしたちは粛々と毎日を生活していくほかにないのだ。 #映画
7