友達のお母さんのおにぎりだってバクバク食べますよ!
今手に持ってるスマホより手作りチョコのほうが綺麗だと思うよ!
ブラザーに 今すぐなる
2016/02/14
2.14
昔、ゼミの同期女子4人でバレンタインの話になり、私以外の3人が「手作りチョコって、何入ってるか分からないし怖くて食べられない」だの「衛生的に…」だの言うから、あまりにも考え方が違うことに衝撃を受けて以来、バレンタインに手作りのお菓子をあげることにビビるようになった。あげようとしている人も、先述の子と同じ考えだったらどうしよう、って。そのためしばらくお菓子を手作りしていない。単にあげる人がいないって理由が99%だけど。
2016/02/13
「ヤクザと憲法」めちゃくちゃ興味あるけど、ブラザーの感想見たらしばらく塞ぎ込みそうな内容だったので、超元気な時に行くことにします。
抜け出したくてもどうしても出来ない境遇って、いろんな種類があるよな。
2016/02/11
ポレポレ東中野で「ヤクザと憲法」を観ながら、すこし前に村上春樹がなんかの賞を受賞したときにスピーチしていた言葉を思い出した。
高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ
この言葉の意味がよくわからないと思っていたけど、「ヤクザと憲法」を観ていたら、なんとなくわかった気がした。銀行の口座を作る、ローンを組む、保険に入る、幼稚園に入園する… あらゆる契約が反社会勢力の人たちはできなくて、そうではないわたしたちと同じように生きることができない。その意味で、ヤクザに関わる人たちは「卵の側」にいる。
映画のカメラは、途中から、住み込みでヤクザの事務所の雑用をする、ひとりの青年にクローズアップしはじめる。自分からヤクザになりたいと思って事務所を訪れた青年は、見るからに不器用で、具体的なエピソードを語ることはないものの、これまで「卵の側」として過ごしてきた過去を感じさせる。
または、帰化していないから選挙権がないヤクザのおじいさん。または、事務所で暇そうに世間話をしたりタバコを吸っている、小指が詰められたヤクザのおじさん。この映画に登場する人たちはみんな「卵の側」の人たちだ。もちろん、犯罪に加担する暴力団は認められる存在ではない。しかし、認められないことは迫害していい理由にはならない。
そこで、「壁」に立ち向かう手段として、カメラという武器がある。カメラに自分たちの弱いところを見せることが、ここでは「卵の側」の人たちにとって「壁」とたたかうことになるのだ。
映画が終わって、新宿の紀伊國屋に行くと人文書のフェアをやっていて、岸政彦の「断片的なものの社会学」という本を手に取った。あとがきを読むと、こんな言葉が書いてあった。
いま、世界から、どんどん寛容さや多様性が失われています。私たちの社会も、ますます排他的に、狭量に、息苦しいものになっています。この社会は、失敗や、不幸や、ひとと違うことを許さない社会です。私たちは失敗することもできませんし、不幸でいることも許されません。いつも前向きに、自分ひとりの力で、誰にも頼らずに生きていくことを迫られています。
私たちは、無理強いされたわずかな選択肢から何かを選んだというだけで、自分でそれを選んだのだから自分で責任を取りなさい、と言われます。これはとてもしんどい社会だと思います。
この言葉は、「ヤクザと憲法」と、または村上春樹のスピーチと、この時代に横たわるなにかを共有しているように思った。この時代に横たわるなにかとは、なんだろう。もし、この映画がもっと遠くに行けるとしたら、どんなところへ行けたんだろう。正しい言葉によって迫害を許している社会が、カメラによって告発される映画である「ヤクザと憲法」に、エンドロールのあとに10分の時間が残されていたとしたら、なにが見えたんだろう。
160212
私の会社は2年に一度のペースでてんやわんやになるんですけど、今がそれです。
ちょうど2年前の今頃も、潰れるかどうかレベルの状況に陥り朝7時とかから収益激ヤバどうしよう会議が開催されていたし、参加していた。
会議って何。会議してどうすんの。
って気持ちでいっぱいだったんですが、まぁマジヤバイ状態なんで超頑張れみたいな、決起集会的なものだったと思います。
信じられないのが、大体の社員が集まっていると聞いた関連会社のひとがご協力お願いしますみたいな感じで途中でいきなり登場して恋するフォーチュンクッキーを踊らされたことです。
2年前当時ですら今更感が炸裂していたフォーチュンクッキー踊らされ撮られタイムを挟んで会議再開するというかなり不条理な展開に私は絶望した。あと意外と難しくてムカついた。立派な社会人になるためには魂を売り渡さねばならないとして、私もまた魂を失ったとするならば、確実にそのときロストしたと思う。真顔だった。2ちゃんねるみたいな、視聴覚室みたいな真顔だった。
で、早速外回りしてきま〜〜すって宣言し外出しようとしたんですけど私の普段使う営業車は点検中でありませんでした。
代車はチョコレート色の軽自動車で、ナビのHDには誰かの趣味であろうラブサイケデリコが入っておりラブアンドピースみたいなことを言っていて、原っぱに行きたくなった。裸足で。
ラブサイケデリコのボーカルの名前がデリコじゃないとかいう話は聞いたことあって、「デリコじゃないんだよな…」って呟いて会社を出ました。
寒さも徐々に和らいできていて、ピンと張り詰めた冬の空気の緊張感が柔らかい日差しによって融解していく感覚は紗々の口溶けを思い出すような思い出さないような、まぁ平たく言うとあったかいし朝早かったしめちゃくちゃ眠くなった。コンビニに行ったけど紗々なかった。まぁ無いよね、今売ってるの?デリコじゃないなら何ていうの?
それが2年前。
で、今。
会社は相変わらずあるし、私も相変わらずそこで働いています。
そう言うと代わり映えのないように思えるけどこの2年は割と色々なことがあった、恋人に振られたり新しい恋人ができたりその子ともダメになったり居候したり引越したりやったりやられたりした。
魂は是非取り戻したい、2年後までには。