海街diary
幸せな気分のときに「幸せだなぁ〜」と思うことがあるけど、自分が幸せな状態だと冷静になって確認することは、同時に自分にこれが幸せなんだよと言い聞かせているような気もしてしまう。幸せにはかたちがないから、実感を積み重ねてみることでしか幸せには触れられないのかもしれない。そういうふうに、場所も時間もバラバラな、具体的なできごとが積み重なったものによって、僕たちはかたちのないものについて把握していくのではないか。
まず誰かの足が写って、カメラが動いて、ベッドに男女が横たわっていることがわかって、携帯電話が鳴って、着替えて、お金を渡して… この具体的なできごとの積み重ねによって、僕たちは彼女たちの関係性と物語を把握していく。好きな男の子と花火を見たり、自転車に乗ったり、梅酒を漬けたり、坂を登ったり… 場所も時間もバラバラな、シーンを繋げて1本の映画を観ること自体について、海街diaryの物語なんかはもうそっちのけで没頭してしまった。
たとえば、梅酒の瓶を取り出してコップに注ぐとか、縁側で花火をするとか、そういうことを繋げて、かたちのないものに触れられるのかもしれない。表現の手法上、映画はそういう特性を持っている。映画って、やっぱりすごい。
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