ままごと「わが星」

きのう、26歳になった。その誕生日に、三鷹で「わが星」を観た。「わが星」は、6年前に同じ三鷹市の芸術文化センターで上演された、太陽系の惑星を家族に見立てた演劇で、その様子を収録した DVD で内容を観たことがあった。もっというと、その前に僕はいま勤めている会社に新卒で入社したあと研修のために福岡に1ヶ月滞在していて、そのときに「わが星」と同じ劇団「ままごと」の「あゆみ」という作品を観て、どうしようもなくボロボロ泣いてしまって、演劇なんかで泣くことがあるのかと驚いた体験があって、そのあとに家で DVD で観た「わが星」もボロボロ泣いてしまい、やっぱり間違いじゃなかったんだと思った。そのような経緯があったので、「わが星」が、しかもほぼ同じ出演者で6年ぶりに再演するということで、特に思い入れが強かった。

わくわくしながら会場に入ると、DVD で観た光景が広がっていた。まったく同じだ。座席には、アポロチョコが2個置いてある。同じだ。しばらくして上演がはじまり、内容はすべて同じ。こうなると「わが星」は、もはや演劇なんだろうかと思えてくる。音楽と照明の演出のもとにプログラミングされた体の動きと、漫画みたいに過剰で抽象的な演技は、再現するためにある身体で、実際におばあちゃん役や先生役の役者が入れ替わっても可能なように設計されている、フレームワークのようなものなのではないか。そんなふうに思うと、劇中に登場するすべてのモチーフや「あるある」なシーンが、縮尺の違いはあっても、すべてが同じものに見えてくる。そのまなざしは、みんなで同じ90分を使ってこの演劇を観ているわたしたちの人生すらも、飲み込んでしまう射程距離を持っている。僕たちはみんな、交換してしまえる身体のなかに、交換できないディテールが詰まっている。その上で、かけがえのない家族や友達や恋人のような関係を築いている。演劇は、演劇が採用している表現の性質のせいで、そのことにもっとも近い場所で行われている営みだと思うのだ。

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