マームとジプシー「ヒダリメノヒダ」

学校で授業を受けているという設定で、人間と同じくらいの大きさの蛙の目玉を、実際に舞台上で解剖する。手元の様子はビデオカメラで撮られていて、舞台の上に設置されたスクリーンにリアルタイムで中継されている。うわー、という感じだけど、グロテスクには見えない。それよりも、ナイフで切られた目玉から飛び出す水がきらきらと光っていて、きれいにすら思える。同じ仕組みを持った自分の目玉で見つめながら、どうして目は見ることができるのか説明される。その横を、体の一部が不自由な設定の登場人物が、何度も足を引きずって観客の視界を横切っていく。当たり前のように思える自分の身体が、いつ壊れてもおかしくない脆さを感じる。

舞台が大音量のノイズとともに突然暗転し、写真を現像する機材が運び込まれて、あっという間に舞台が暗室になってしまい、実際に写真を現像しながら演技がつづけられる。見ること、写真を撮ること、現像した写真を見ること。写真は自分が見たことを証明するが、同時に視力の弱い左目で見た幼少期のあいまいな記憶のエピソードが何度も繰り返し話される。

また舞台が暗転し、荷台に載ったドラムが運び込まれる。実際に片足が不自由なドラマー(山本達久)が舞台に登場して、さきほどの登場人物の演技のように歩く。演劇の一部として、ドラムを教える。教わった役者のひとりが、山本達久の動きを見て覚えて、同じようにドラムを叩いてみる。

舞台が暗転する。舞台の中央にはちゃぶ台が置かれていて、妹と兄、妹の友達の女の子の食事が終わった風景がはじまる。妹が気を利かせて舞台から出ていくと、妹の友達の女の子が兄に告白するシーンが演じられる。ふたりが触れあったところで、ビデオで巻き戻すみたいに、告白のシーンを途中からまた演じはじめる。

自分たちが見ているものを疑うこと。さらに、生きていることさえも疑うこと。できるだけここから遠い場所へどうやって行くことができるのか。マームとジプシーの各公演で繰り返し演じられる別れのシーンも、人間が変わってしまうことは当然であるかのような、むしろここから出発することのうれしさのような、開き直りすらも感じられる。とにかくたくさんの情報量があって、整理しきれないすごい演劇。いま自分にとっていちばん興味があること、これがおもしろいと思えることが、たくさん詰まった時間だった。

10