花とアリス殺人事件

映画がずるいのは、わたしたちの世界と同じ素材を使って作品を作ることで、わたしたちと距離が近いというところにある。距離が近いものには興味が持てる。その一方で、映画には、具体的なかたちを持ったものしか扱えないという弱点がある。カメラが捉えたかたちが具体的であればあるほど、わたしたちとの違いが際立って、わたしたちの世界とかけ離れていく。距離が遠いものには興味が持てなくなってしまう。

「花とアリス殺人事件」は、全編がロトスコープの手法や 3DCG を使ったアニメーションでありながら、そこにはアニメーションにしかできない表現はなく、アリスはわたしたちと同じように歩いたり走ったりする。その身体からは、すべて実写で撮影していた10年前の花とアリスの「原画」としての蒼井優を思い出させるのに、しかし、アニメーションでは顔の皮膚の色は1色で塗りつぶされていて、ディテールをもっていない。わたしたちと距離が近いまま展開される抽象的な映像に、驚かされる。

シナリオもすごい。アリスが引っ越してきて、段ボールのすきまから隣の家を覗くシーン。そして、市役所にも行かずに直接中学校に転入しようとするシーン。さらに、自己紹介で前の名字を一瞬書きそうになるシーン。たったこの3つのシーンによって、アリスと、アリスの母親のキャラクター、親子の距離感が描かれてしまう。アリスの母親がアリスを「きみ」と呼ぶのも、また同じように花がアリスを「きみ」と呼ぶのも、距離感である。この距離感たちには違いがあるんだろうか?

この映画は、距離の映画だ。まったく関係のないおじいさんとなぜかすこしの時間を過ごすシーン、こんなにも距離が遠く離れた人と、わたしたちはいったいどうやって出会うことができるんだろう。おじいさんをタクシー乗り場へ背中を押すシーン、深夜の駐車場で花とアリスがバレエを踊るシーン、離れていた距離が縮まって、ついにからだに触れることができる。

実写版花とアリスのキャラクターや設定を使いながら、まったく別の物語を作ってしまえること。画面に写る具体的で抽象的なかたちのこと。まるで実写とアニメーションの隙間のパラレルワールドを覗いているかのようだ。この映画には驚いた。この映画について話したいと思える、すごい映画だった。

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