最果タヒ「星か獣になる季節」

最果タヒの書く文章を読んでいると、自分が日本語を話しているということ、自分が日本語を話しながら思春期を過ごしたことが、幸せなことのように思う。体のどこかに、あらゆることがすぐに生死に直結してしまう細胞があって、そのことをいつも無視している。大人になるということは、すぐに死んでしまいそうになったりしないということだ。でも、最果タヒの詩や小説には、そんな細胞を虫眼鏡で拡大するように見つめていく感覚がある。すぐに死んでしまいそうになるということ、つまり生に疑問を持てることのほうが、生に執着が強いとはいえないだろうか。ここでは言葉を書くこと、言葉を読むことが、生を改めて確認する作業なのだ。

そんな最果タヒの「星か獣になる季節」は、早稲田文学という文芸誌の2014年冬号に掲載された小説だけど、小説のような、詩のような、そのあいだを行ったり来たりする不思議な文章で、主人公の男の子の感情が高ぶってくると、言葉に読点が多くなって、小説から詩へゆるやかに移行していき、やがて詩から小説へ戻りながら、そのあいだも休むことなく物語は語られていく。言葉は、誰かに伝えるために、言葉より生っぽいことばから加筆修正したものなのかもしれない。小説が言葉で詩がことばなら、ことばと言葉の境界線が、この文章には収められているような気がする。

「17歳は、星か獣になる季節なんだって。今日、やった英文読解にね、書いてあった」渡瀬の横顔も、火事みたいな光に染まっている。「人でなしになって、しばらく、星か獣になるんだって。大人だからってひどいこと言うよね」

15