正しく戦え

そして正しく負けろ。と、彼は「僕たちの好きだった革命」で話したけど、それはそれ、私たちは喧嘩の作法を知らないから、火炎瓶を投げ込んで爆破炎上させたくなる。正しい戦いってなんだろう。そして正しい敗退ってなんでしょう。
今日話したこと、私はおそらく正しい戦い方ではないと思う。そして話されたこともまた、正しくはないと思う。私が毎日最大限に「苦笑い」をしているこれは苦しみを相対化してしまえば「つらくない」仕事なんだろうなと思う。

苦しみの相対化。いっしょの物差しで測ること。

いっしょの物差しで測れないから私たちは想像力を駆使する。彼ら彼女らの痛みはこうじゃないか、って。別々の物差しで、一緒の基準を指せるようにする。

その二つの間には日本海溝が横たわる。そのぐらい違う。「つらくない」と言われること、「つらくない?」と訊かれること、その間には思いやりの有無が。もちろん後者のほうがいい。常につらくない?って思ってる。チームに対して。つらくないの?そうなんだ。つらいと思ったら休めばいいんじゃないの。だって。だって私たちは出入り業者だから。

でもさ、今日の言葉が深く突き刺さって、私、朝起きたら砂になってたらいいとさえ思ったよ。欠席裁判も、他人の痛覚が分からないことも、あなたが無駄に燃やす正義も、全部こりごりなんだ。予測と希望。おそらく。あなたはわたしを忘れる。
わたしはあなたを忘れる。それが正しい負けパターンになる。なりうる。

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