2014/10/26
演劇を観ているとき、この役者の人は今どういう気持ちで舞台に立っているんだろう?と思うことがある。観客の僕たちは舞台の上で演じられているキャラクターを見ているつもりだけど、実際はキャラクターを演じている役者のからだを見ている。役者の表情や目つき、どんな風にそこに立っているのか、演じられているはずのキャラクターのからだと役者が持つ固有のからだのずれを見たいと思ってしまう。演劇が終わって、舞台の上で役者たちが一列に並んで客席へありがとうございましたと頭を下げるとき、なにか手がかりがないか拍手しながら観察しても、そのずれがどこにあるのかはよくわからなかった。
ダンスなんてまったく観たことなかったけど、Tさんに誘われてインバル・ピント&アブシャロム・ポラック・ダンスカンパニーの「ウォールフラワー」っていうやつを観た。演劇ではからだが動くことに意味を見出そうとしてしまうけど、ダンスはからだを動かすことに意味が生まれないように、からだを動かすことによって生じる伏線を、次のからだの動きで打ち消そうとしているように見えた。舞台の上でキャラクターが生まれないから、からだがどうやってそこにあるのかだけを見ることに集中できる。そうしていると、舞台の上にあるからだとは、意味を持つからだと意味を持たないからだ、そのあいだを行ったり来たりしているということなんじゃないかなというように思えてきた。
ダンスは喋らない。でも演劇には台詞があって、物語があって、からだに意味がある。そのからだが意味を失って舞台の上にあるとき、役者が持つ固有のからだが見えるような気がした。その瞬間を見てみたいと思った。だから、ダンスなんてまったく観たことなかったけど、観てみたらすっごく面白かったよ。 #演劇
16