ソロモン王も苦悩する
人に施しを与えるそびえ立つパンタロンの王――ソロモンさん――だって苦悩するのだから、辞書を引かず小間使いにもなれずヤクザのような風貌の男ではない私が苦悩するのは当然だ。
「ソロモン王の苦悩」は、堀江敏幸が書いたような古い絵葉書に書かれたシチュエーションに自らを放り込むソロモン王の描写が少なくてがっかりしたけど、全体的によい物語であった。
唐突だけど、私は古い日記の中に自分を放り込むのが好きだ。
それは一般に名前変換小説とか夢小説と呼ばれるような「自分のために編まれた物語の中に飛び込む」感覚ではなくて、閉じて完結された物語の中に自ら飛び込み、追体験する感覚だ。だから私は夢小説の一派ではなく、物語を歪に読み歪に書き換える二次創作の一派に属する。
古い日記に自分を放り込む話だった。
私にはお気に入りのブログがいくつかあって、それらは大体更新を鈍化しているか止まっている。かなり歳上の恋人との生活を綴った彼女のブログを読めば同じ行為(例えば?、例えば、桜を見に行くためだけに旅行したり、ネックレスを貰ったりという行為)を試したくなり、実際に一つや二つは試した。すごいエゴだと思う。自分が受けている愛情を、赤の他人の日記の中に落とし込もうとする行為は。しかしてそれは責められない。
また、誰かがどこどこの洋服はいいとか、誰の本は良いとか言っているとそれを着てみたり読みたくなる。たとえ古いものでも。だからいつか「犬が星見た」と同じコースにてロシアの旅行をしたいと密かに思っている。
全てのなりきりチャットは古い日記に。
なりきりチャットをするタイプではなかった。物語や実在の有名人の物語に自分が入り込むより、それらを歪に読み替えるほうが好きだったから。物語が閉じたあと、つまり原作が完結したあとでも夢小説のサイトは活発に動いている。だってキャラクター×自分という物語は完結していない。面白いものだと思う。
私は完結したものを読み替えて書き換えてどこに行こうとしているんだろう。古い日記の中に潜水してもどこにも行けない。記述者にはなりきれないというのに。
「ファントム・ペイン」と「スナフキンの手紙」どちらか忘れたけど、自分が選択しなかった物語は平行世界として隣にあるという話が好きだった。選択しなかった物語。それは時間軸を飛び越えるから、私は古い日記の登場人物だったかもしれないし、Instagramに色々な「おしゃれな生活」をアップロードする存在だったかもしれない。もしくは乞食かもしれないが。
Internet Archiveからふるいデータを引っ張ってきてその中で溺れるという生活をしていると現在地が分からなくなる。