範宙遊泳「インザマッド(ただし太陽の下)」
役者の人たちが、泳ぐような身動きをしながら、テキストを読み上げていく。そのからだの動きはチェルフィッチュという人たちが10年前からやっている身体を思い出させるけど、この人たちとチェルフィッチュのからだは明らかに違っていて、チェルフィッチュのからだは話している言葉と関係しない意味のない身体であるのに対して、この人たちのからだは話している言葉や壁に投影される言葉を説明するための身体であるからだ。例えば、タクシーに乗るシーン。「タクシーに乗った」と言って、役者たちが舞台の上を駆け回る。例えば、「新宿にいる」と話すシーン。壁に新宿駅の写真が投影される。
それは、演出することをやめてしまった、ディテールの貧しい新宿の表現だ。そこは新宿ではないのに(だって会場は駒場東大前だし)新宿でいようとして、そのなかにわたしたちと同じからだを持った身体が立っているということに興味があるのに、舞台の上が新宿でいようとしてくれないから、そこで起こることになにも興味を持てなかった。なんか、つらかったな。この人たちの演劇は自分には必要ないから、もう観に行かなくていいや。 #演劇
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