排泄物と病院食はもしかして匂いが似ている
大昔、入院していた母を見舞いに行った病院でも床にそれぞれの行き先が書いてあって児童だった私はそれが不思議でカラフルで魔法陣みたいで面白かった。祖母はそういう私の手を引いて母の見舞いに行った。病室はいつでも涙があふれる場所だった気がする。
そのあと祖母が眼の病気になった。父は骨折した。そのどちらも見舞いに行ったけれど、涙はあふれなかった。カラフルな行き先表示も覚えていない。
先ほど、祖母の見舞いに行ってきた。記憶が確かなら2009年にそういう施設で暮らすようになってから私は一度も会っていない。だから数年ぶりに祖母を見た。脳に水がたまる病気で、意識が常に混濁しているのだと母は言った。エレファント・マンみたいじゃない、確か同じでしょと母は続けた。
祖母の病室に行く前にちらりと見た病室では千羽鶴が飾られていた。祖母の病室は六人部屋で、祖母は熟睡していた。最後に見たときよりも痩せているのは、食欲に対する限界が無く食べ続けていた(痴呆の諸症状の一つらしい)頃の祖母の印象が強いからかもしれない。痩せた祖母は、祖母が先の戦争の焼夷弾から命がけで守った、歳がすこし離れた妹の顔に似ていた。
ずっといびきをかいて眠っているのを、母と二人で眺めていた。駐車場に車を停めた父が来、塩分を点滴されていることを確認すると、それが合図だったかのように病室を出た。
一刻も早く立ち去りたかったので丁度よかった。私の高校時代からの友人知人には周知なことだが、祖母が痴呆だと確定する前数年間の、そして確定した後の数年間の我ら家族はひどいものだった。それまで家族団らんの象徴だったコタツは台所には誰も寄り付かなくなった。祖母が夜になり意識が混濁し妄想と過去と現実の境目を失うと地獄だった。私も、父も、そして母も家に帰るのをためらうようになった。皆が皆祖母に怒鳴り声をあげるので民生委員に注意されたこともあった。虐待ですか?と。
ここに書けば人間性を疑われそうなブラックジョークで私と両親は笑いあった。あの数年間誰よりも地獄だったのは母だと思うけれど、父も、私も、そこそこ平等につらさを味わっていた。
多分また数年間は祖母に会いに行かないだろうと思う。話せるうちに話しておけばよかったと思うがもう遅い。