余白
ふと思ったけども、今まで人生にものを詰めすぎてた。時間の経過が線としたらば、線上に浮遊するイベントは常に定義されなくても良い。もしそれが他者から見て、なにもなくとも良い。それが余白になっても良い。例えば中学生のころなんて、中学生という肩書きはあるけれども内容は何もなかった。それでもその時間を共有した人や、その時に感じたことや捉えたことは今にも染みている。
よく大学時代に国文学専攻の友達が高等遊民になりたいと笑っていたけれど、いいんじゃないの。それが逃避ではなく、なにかを楽しむためならばきっといい。今なにもなくても、毎日に飽きてなければきっと正しい。
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