リップヴァンウィンクルの花嫁
20代も半ばになったら、当然のように異性と付き合っているものだと思ってたし、いずれ好きになった人と結婚するものだと思ってた。でも、だんだん自分が普通だと思っていたことのハードルって実は高くて、好きになるとか(好きになってもらうこととか)、結婚するとかいうことは、誰にでもあることじゃないんだということに気がついてきた。
この世界では「人を好きになる物語」や「いい年齢になったら結婚する物語」がたくさん語られていて、そういう話を聞いていると、みんながそうしているように、自分だって同じ物語をなぞりたくなる(でも、できなくて落ち込む)。しかし、誰もがちょっとずつ違う顔を持つように、ちょっとずつ違う人と人の関係もまた、ひとつも同じものはないのではないかと思う。友達になりましょうと言って友達になることはないのに、恋人になったり結婚するには宣言する必要があるのは、なんでだろう。それは、恋人や結婚が、名前がついている物語だからだ。恋人や結婚とは厳密にはすこし違う、まだ名前を持っていない関係なのかもしれないのに、名前がついている関係へ軌道を修正させられるからだ。名前を持たないものを共有するのはむずかしい。
ぼくたちが、かけがえのない関係になりたいなら、いかにいまここにあるまだ名前がついていないものを守れるかにかかっている。わからないものを、わからないままに引き受ける力が求められている。3時間もあるこの映画が問いつづける「演じる」ということ、そして「交換できない」ということ、いろんなことを考えた。納得できないこともあったし、よくわからないこともあった。すてきなシーンもあった。そのことを、ひとりで思い出している。
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