2016/01/09

自分が書いた言葉は、「自分は」や「僕は」という書き出しから「思う」とか「考える」で終える文が多いことが気になっていて、それは思ったり考えたりする自分が話している言葉だからなのではないか、と思う。新聞を読んでいると、文に言葉を話している人が登場しないことに気づく。新聞記事の言葉は、事実を伝えるためにあるものだ。それでは、「自分は」や「僕は」そして「思う」とか「考える」といった、自分の存在をほのめかす言葉を多用するような自分の言葉は、言葉を話している自分を伝えるためにあるのではないか、と思った。僕はこのように思う、僕はこう考える、そんな僕がここにいる、そのことを知ってもらうために、ぼくは話しているではないか。

そのことにきづいてから、そういうことばはできるだけやめたい、とおもうようになった。ことばにしなくてもすむような、はなしをきいてもらわなくてもいいような、ぼくになりたい、とおもった。

そのために、ことしは「自分」も「僕」もつかわず、なるべく「ぼく」にしよう、ということになった。一人称をかくたびに、ぼくはいま、ぼくというあぶないことばをつかおうとしているのだ、ということにきづけるようにしよう。そして、漢字をひらがなにひらくことで、僕はぼくになれないだろうか、とかんがえた。

8