放課後の掃除を、何度もほったらかして帰る男の子に、私もついて行きたかった。でも行かない。だって彼はきっと怒られるだろう。結局頑張った自分が得をするのだと信じて。
このあたりが原点だったのかもしれない。頑張った人が得をする、それが正しく現れる場所にいたし、何を頑張るべきなのか明確に示されていた。
だから、必ず幸せに直結すると思ってた。
でも今は違うかも。人によって認識の度合いも違うしやり方も様々だって気づいたのがきっかけ。ズルだって、あの男の子がちょっと掃除をサボったからって絶対的に不幸になるわけでもないんだよな。怒られることをそんなに損だと思っていないならば尚更。
あぁなんだか、彼の方が断然幸せに生きていけそうな気がするな。なんてちょっとつま先を蹴りたい気持ちになった。
どんな形でも幸せになれたらそれはそれでいいなと思えるのだけど、もし、あの時の私のように常にどこか頑張って生きようとしてる人がいるならば、一番幸せになって欲しいなぁ。私もな。
結局幸せになるまで生きていたいんだよな。