からだのなかに、いくつもの時限爆弾がある。おとといのこと、きのうのこと、きょうのことが、それぞれカチカチと音を立てて転がっている。まったく関係ないようなことが繋がって、いつか大爆発するんじゃないかと思う。その爆発をもって、僕は変われるような気がする。なにも起こらないまま、そんな予感だけがする。
ブラザーに 今すぐなる
2015/11/21
おでのゆめ
年収400万円
家賃80,000円
メンヘラでもない手首も切らない彼氏と週一回デートする
職業はインターネットで文章を使ってマネーを稼ぐ仕事。マネーを生むことが面白い。
役職は持ちたくない。誰かの下で働くのが合ってるから。
馬鹿のことを、馬鹿だと言える立場であってほしい。
私の夢となりたいこと。
2015/11/20
あと、こうなりたいなとか、これやりたいなとか思ったことは、かかった時間はそれぞれだけど概ね叶ってきてるので、そういう想像をするのはいいことなのかもと思います。
2015/11/20
そうだ。こないだふと思ったんですよ。
青春時代を完全にオタ活動にささげてしまって彼氏なんてのはずっといなかったり、好きな人これはもう一生できないかもと本気で落ち込んだり、新卒入社したもののすぐリタイアして無職になって心落ち着かないまま、ガリガリとすねをかじって生きてたりもしましたが、現在それらはすべて過去となり、むしろ思ってた人生よりも展開が良い方向に早くなっているので、今がどうであっても、この先どうなるかなんて本当にわからないものだわということです。
えらそうに聞こえたらやだからあんまり言わないけど、生きてたらなんとかなっていくものみたいですよ。
2015/11/20
高橋源一郎の「ニッポンの小説」シリーズに出会って、ここ数週間ずっと、ちょっとずつ、読み進めてる。それで思うのは、わからない自分について書くこと、考えてる自分について書くこと、なにかに辿りつこうとして、できなくて、というより本当は辿りつけるんだけど、それをやめて、また出直すこと、そんなことができるんだっていうこと。
カルヴィーノならば、これらに共通する事柄を、さっと見つけ出し、もっとも適当なことばにまとめ、それから、おもむろに、その本質を解き明かすところだろうが、ぼくには無理だ。
ニッポンの小説やニッポンのことば、その現在が、流動している様子をただ呆然と眺めているだけである。
まとめたくない、のかもしれない。
混乱は混乱のままに、と内心では思っているのかもしれない。
この、「呆然と眺めている」という姿勢がいい、と思う。答えを見つけるわけでもなく、なにをするわけでもなく、なにもわからないとしても、そこにいることができたらいいと思う。
そのかたわらに言葉があって、書くことで気持ちがすこしでも楽になるなら、それを詩と呼ぶのなら、僕は詩を書きたい。